今日の気づき
同じことをしても評価が真逆
同じものを見てもらっても人により評価が真逆ということがある。つまり、一方の方は合格、もう一方の方は不合格。
結果だけ聞くと真逆の判定に苛立ったが、冷静に考えると判定の差は微差なのかもしれないと思うようになった。
合格・不合格と捉えると真逆の結果である。しかし、合否ラインギリギリの作品であれば評価が微差で変わるのは無理もない。人が判断する場合、この微差が微妙であり理由をオープンにされることは少ない。
合否判定だけ聞くと真逆の判定であり、当事者としては当然合格が是であり、不合格に不信感を抱く、不信感が苛立ちにつながる、そして冷静さを失いつい感情的になる。
しかし、冷静に考えてみると、ある基準をクリアしているのかという合否判定で結果が異なるということは、その作品がある基準の近辺にいるということである。
もし基準ラインから大幅に外れていれば、合格オンリーか不合格オンリーの判定になったはず。
つまり、同じものを見てもらっているのに結果が真逆と考えるのは間違いで、合否判定基準上にいる作品と捉えるのが妥当な判断である。
人は自分事となると判断が甘くなりがち、自分に有利な方を正ととらえ、逆の判断をする方を敵対視する傾向がある。
全ては自分事、自分に原因があると捉える、郵便ポストが赤いのも自分のせいは有名な言葉、やはり自分の方に原因があるは正しいのだ。
評価が真逆の場合、自分にとって不利な判定をした方がおかしい、なぜならば、自分に有利な判定をしてくれている方かいるからと考えてしまう。
そして、この考え方がその後の行動を間違った方向へ導いてしまう。生成発展方向へ向かわない。
評価が真逆、その様に判定された原因は自分あるはず、どこに原因があるのか? そうか判定者が迷うような合否ライン上の出来だったのか。
この様な思考だと改善という前向きな行動へ進む。改善により合否ライン上の出来から向上することが出来る。
何事も自分事、いざ事が起こり感情高ぶっている時にそう思うのはむずかしい。日常の些細なことで自分事と思う訓練を積み重ねることでいざ時でも冷静に思考できる。
日常の思考グセの大切さ、改めて実感した合否問題であった。
今日のインプット
・生涯弁護人
→マスコミによるイメージ操作で判決が変わってしまう。裁判官も人間である、影響されない訳はない。人が人をさばく難しさを感じる。
今日の事業構築活動
自社ブログ
・調査&執筆
→時間があくと前の調査を忘れがちになる、一気に進めるor毎日書き続けるが良いのは明らか。
今日のマーケティング(購入までの行動心理を把握する)
M店:定食
・久しぶりにモーニングを食すために来店したが、こんなに混んでいたっけ?
お得なモーニングが口コミで広がったのか? 周りを見ればみんなコスパ最高の定食セットを頼んでいるではないか、これは絶対に口コミの仕業に違いない。
モーニングは今後も混雑するのだろうか? 混雑嫌いな私は新規店舗を開発すべきだろうか?
少々様子見と行きましょう。
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