「毎日のように電話があった時は鬱陶しいと感じていたけど、最近はほとんど電話がなくて寂しいのよ」
これ私の友人が話してくれた奥さんのグチの話である。
友人の娘は今年から就職のために上京、初めて親元を離れた最初の数ヶ月は都会生活での寂しさからか毎日のように、時には一日に何度も電話があったが最近は週に1回あれば良い方との事。
毎日のように電話があった時には鬱陶しいとグチをこぼしていた友人の奥さんであるが、最近は同じグチでも電話がなくて寂しいとグチっているらしい。
でもこんな話、結構聞くなぁと思った私。
「初めは鬱陶しくてうんざりしていたことでも、無くなると寂しいと感じる。」
人はなぜ同じことでも鬱陶しいと感じたり、寂しいと感じてたりするのだろうか?
この記事ではこんな矛盾する現象を私なりに考えてみた結果を共有します。
あなたも日々のちょっとした気づきの深堀になるかもよ。
鬱陶しいはどんな時に感じてしまうのか
友人の奥さんはなぜ愛する娘の電話を鬱陶しいと感じてしまったのだろうか。
生まれてから20数年間ずっと一緒に暮らしていた娘。
お互いに初めて離れ離れになったのであれば、娘からの電話は嬉しいと思うのですが……。
それなのに、なぜ鬱陶しいと感じてしまうのか。
私が推測した原因は次の通りです。
- やりかけの仕事を中断させられる
- 同じ話を何度も聞かされる
- 人のグチは娘といえども基本は聞きたくない
- 自分の時間を潰される
電話は今の相手の状況を無視している?
電話が来た時に一番困るのは、今していることを中断せざるをえないことです。
仕事中、料理中、読書中などこちらの状況は一切お構いなし、かかってきた電話を無視しようにも、けたたましい着信音や震えまくるバイブを無視続ける事は困難極まりない。
電話をかける方は自分にとってベストのタイミングかもしれないが、こちらの状況はほとんど考慮されていない。
たまにならまだしもこれが毎日のように続くのであれば、鬱陶しいと感じてしまうのはやむを得ない話。
いくら自分の娘とは言え、鬱陶しいと感じてしまった友人の奥さんに私は同意同感します。
さっきの話は聞いてなかったんかい?
話を聞かされるつまり受け身の状態にある時に、人は何度も同じ内容を聞きたくないと思うのではないだろうか。
興味がある話、感動した話などは自分の方から何でも聞きたいと思うでしょうが、聞かされ話は一度で結構と私も思います。
話の内容が興味ないことであったり、グチであったりした場合はなおさらでです。
しかもその興味のない話に対し話を聞いてあげたと言う事は、コメントしたり同意をしたりしてそれなりに対応してクローズしたはず。
にもかかわらず同じ話をしてくると言う事は、
さっきの俺の話、聞いてなかったんかい?
口で言う言わないは別にして、このように感じ鬱陶しくなるのはやむ無し。
私の場合、職場で同じ質問を何度もしてくる若手に鬱陶しく感じることがありました。
別にその若手を嫌っている訳ではなくむしろ可愛がってる方ですが、つい先日聞かされた話をもう一度聞かれた時にはイラッとしてしまします。
こんな時、鬱陶しく感じてしまう事に私は同意します。
あなたもできるだけ同じ質問はしない方が無難です。
(自戒を込めて)
話を聞いていると相手の感情が伝染する
あなたは人の話を聞いている時、その話の情報に基づいて脳内で状況をイメージしてませんか。
想像力が豊かな人ほど目の前の相手と同じ感情をそのままそっくりコピーできてしまうのでは?
その結果、グチや相談ごとの場合は負の感情までもコピーしてしまうことに……。
人は誰でもハッピーでウキウキした明るい感情でありたいもの。
その人の話で暗い感情になった経験があれば、話の内容がグチと分かった瞬間に聞きたくないと思い鬱陶しいと感じるのは当然のことかもしれません。
私も職場で同僚や若手からの悩み事を聞く機会があります。
仕事内容の相談の場合、感情の問題はありませんが、人間関係の相談の場合、こちらも真剣に聞けば聞くほど相手の感情に同化してしまい、こちらも後でメンタルケアが必要になることも。
愚痴を言ってくる相手が他人であれば、話をそらしたり無視したりと言う自己防衛手段をとることができます。
しかし、相手が身内や大事な人であれば聞かざるを得なく、そのことが鬱陶しいにつながることに私は同感です。
ちなみに私が相手の負の感情に同化してしまった時の対処法はこの2つ。
- 軽快なポップスを聴きながら1人カラオケをする
- アクション映画を見てスカッとする
あなたも相手の感情に同化してしまった時は参考にしてみてください。
楽しみにしていた時間を返してくれ!?
何かと忙しい現代人、あなたも日々スケジュールでいっぱい一杯一杯のことでしょう。
そこに割り込みの電話が入ってきたら、当初立てたあなたのスケジュールはぐちゃぐちゃ。
それでもやらなければならない事に変わりはなく、休憩時間や予備時間をつぶして調整するはめに……。
あー今日順調に仕事が済んだら、ずっと楽しみにしていた映画を見る予定だったのになぁ……
あなたも人間、私も人間、残念ながら神的な心は持てません、よね。
自分が楽しみにしていた時間を奪われては、鬱陶しいと感じるのもやむを得ません。
ましてやその原因が自分事ではなく他人要因であれば、なおさらです。
かつて私は日々は帰って寝るだけ、土日も休日出勤の状態が約1ヵ月間続き、ようやく開放された休日なのに家事を頼んできた妻に切れたら逆ギレされた苦い経験があります。
妻としてはずっと頼みたいことを我慢して待っていたとのこと。
私は長い間待ち望んでいた自分の自由時間を潰されたので不機嫌に。
相手の時間を奪うと言う事は、有限である相手の命の一部をいただくと言う事。
何も大げさな表現ではなく、これは紛れもない事実です。
命の一部を奪われれば相手が不機嫌になるのは当たり前、このことを頭の片隅に置いて相手にお願いする、お願いする相手に少しでも鬱陶しいと思われないために大切なことだと思います。
思い返せば私もここまで成長するの多くの人の時間をいただいてきました。
お金で対価を払った場合は別として、無償の愛で対応いただいた多くの方々には改めて感謝の気持ちで一杯です。
鬱陶しい解消で寂しいと感じるのはなぜ
鬱陶しいことが解消されれば嬉しいはずなのに、人はなぜ時には寂しいと感じるのでしょうか。
私なりに要因を分析してみました。
- ルーチンになっていたことが無くなることによる違和感、物足りなさ
- 人から頼りにされることで満たされていた自尊心の渇望
無ければ違和感を感じる習慣の恐ろしさ
鬱陶しいと感じていた娘からの電話、毎日のことであれば友人の奥さんの習慣になっていたことでしょう。
習慣になれば無意識の領域でルーチン化され脳にインプットされています。
ただ厄介なことに脳には良い習慣も悪い習慣も区別なく全てインプット。
これが毎日の歯磨きのように良い習慣ならメリットになりますが、食後にタバコ一服の習慣なら健康上のデメリットにつながります。
鬱陶しいことでも無いと寂しいと感じるのは、習慣が欠如したことが原因でしょう。
元々は鬱陶しいと感じていた自分自身の感情を思い出し、感情の整理が必要です。
逆に寂しいからと自分から電話してしまっては本末転倒。
ちょっと我慢して娘からの電話がないことを習慣にしてしまえば、寂しさを感じることはなくなるはず。
不都合な習慣を消してしまうには、新しい習慣で上書きするしかないです。
これってもちろん私自身にもあなたにも当てはまります。
無意識にやっている習慣を洗い出し、悪い習慣を良い習慣で上書きしましょう。
そうしないと日々の積み重ねが、将来まずいことになりそうです。
他力が働いている自尊心には要注意を
相手から頼りにされているとは、自分が相手にとって必要な人間だということ。
人から必要にされているってとても自尊心が満たされます。
超気持ちいいです。
でもその相手から頼りにされなくなったら、「自分はもはやいらない人間?」と勘違いしてしまうことがあるのでしょう。
本当は相手が成長しステージが変わったことで、あなたに相談する必要がなくなっただけかもしれません。
自尊心を満たしてくれるパワーはどうやら貯金できないようです。
今まで頼りにしてくれた人からのパワーがなくなると、その分エネルギー量が減少し満たされない気分になるのでしょう。
それが鬱陶しいと思っていたことがなくなったのに、寂しいと思ってしまう要因です。
そもそも自分の自尊心パワーは自分で管理した方が良いかもしれません。
他人から満たしてもらうのではなく、自分で自分を褒めるを習慣化し自分でコントロールした方が良いです。
- 昨日の自分と比べ、少しでもうまくできたことに成長の喜びを感じる。
- 他人はどうであれ自分の価値基準を明確にする。
- 自分の機嫌を自分で取る。
もしあなたが教えてた人の成長を寂しいと感じるのであれば、これら3点を意識して思考改善することをお勧めします。
かつて私も後輩に対して成長が寂しいと感じていたことがありました。
今では自分の価値基準を明確にし、自分の機嫌は自分で取るようにしてるので自尊心がぶれる事はありません。
おかげで50代になった今でも、20代の若者から学ぶことに何ら抵抗はありません。
20代のヤング諸君には迷惑かもしれませんがね。
まとめ
この記事では友人の奥さんのグチをきっかけに、鬱陶しいと感じてしまう原因、またその鬱陶しいが無くなったのに寂しいと感じてしまう背景について、私なりに考察した結果を共有しました。
身内のことなのに鬱陶しいと感じるのは、自分の時間を削られていことに原因があるようです。
人の時間と言うものは有限であり、どこで”TheEnd”がくるかは誰にもわかりません。
意識しているしていないにかかわらず、自分の時間を奪われることに不快を感じるようです。
人の命が有限であることは当たり前、誰でも頭ではわかっていることですが改めて認識を再インプットした方が良さそうです。
人は自分一人では生きていけません、頼り頼られお互いが助け合って生きていくのが人間。
自分が頼る側になっている時は誰かの時間を奪っていると言う事。
このことを常に認識しておけば、相手への感謝の気持ちが自ずから湧き出てくるはずです。
せっかく鬱陶しいがなくなったのに寂しいと感じてしまうのは、自尊心タンクが満たされないからでした。
自尊心タンクへのエネルギー供給を他人に頼っていてはダメです。
自給自足の精神で自分のタンクへは自分でエネルギーを供給しましょう。
常に自分に厳しいあなた、そろそろ頑張ってきた自分に優しくしても良いのでは?
振り返れば私自身も望んだ通りの人生ではありませんでしたが、その時その時のいろんな困難を鑑みれば「ようやったなぁ」と第三者視点では思います。
50代にもなれば人生では繰り返しを過ぎ、会社では引退がちらつき始めている今日このごろ。
頑固で近寄りがたいジジイよりも、何か知らないけどいつも楽しそうなおっさんになりたいものです。
おまけ【名言からの気づき】
もし幸せになるために誰かを頼っていたら、あなたは奴隷になり、隷属し、とらわれの身となる。
そして、あなたは多くの人々に頼っている。
彼らは皆あなたの影の主人となり、その見返りにあなたを搾取しているのだ。
byバグワン・シュリ・ラジニーシ
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